サブスク解約

解約するのがめちゃくちゃ面倒くさいサブスクってあるじゃん。解約するためのページがすげー分かりづらいところにあるとか、下手したら電話しないと解約できませんとか。これは俺の友達の友達の話なのだが、童貞の癖に早漏改善の効果を謳う薬なんぞのサブスクに入ってしまった挙句、電話しないと解約できないということを知り、恥辱にまみれながら電話を掛けたら受付の女性に「解約の理由を伺ってもいいですか?」などと恥を上塗りされるようなことを言われ、「いいから早く解約させてくれませんか」と電話口でキレてしまったということがある。あれ以降dアニメストア以外のサブスクには入らないことにしている。てかまだ何袋も家にあるんだよね。地味に高かったので何万円も無駄な薬に使い込んでしまったことになる。そもそもなんで早漏改善の薬を買おうとしたのだかよく覚えていない。今更どうでもいいが。

あとはネット回線の契約とかであるらしいのが、〇万円のキャッシュバックがあるからこの契約は安くなってますってやつ。でもそのキャッシュバックを受け取るための手続きがまた面倒で、期限過ぎたら一円も受け取れません、みたいな。

こういうのって利用者側の手間を無駄に増やすことで手続きの意欲を削ぎ落とそうっていう魂胆が明確にあるじゃん。そんでこの手の権謀術数の食い物にされるのが俺のように怠惰な人間なんだよね。

コンビニの上げ底弁当とか見える位置にしか具材が挟まってないサンドイッチとかも似たようなことが言えるんじゃねーのって思う。なんていうか、非誠実なアーキテクチャっつうの?

最近の社会ときたら、そんな話がどこにいってもついて回る。企業側のあくどい意図を看破するなり情報として仕入れるなりの努力をした上でそれに抗っていかなければ割を食っちまう。そんな情報戦的な様相を呈したこの社会で、平和ボケした俺たちはどうしていきゃあいいのだろう。甘んじて被捕食者になるか、そんなのは癪だと抵抗していくか。それ考えるのもめんどくせーわ、ガハハ! こんなんだから俺は負け組なんだろうな。

全肯定ASMR

数ヶ月前の一番鬱が酷かった時に全肯定ASMRとやらをいくつか聴いてみたことがあった。今思い返すと藁にも縋る気持ち過ぎるだろと思うが、その時の俺としては全肯定ASMRに救いを求めざるを得ないくらいの希死念慮に支配されていたのだ。

それで気付いたのだが、あれって日々頑張っている社会人を想定した肯定であって、俺のように何も頑張れていない怠惰な人間を肯定するものではないのだよね。頑張っててえらい、だけじゃなくて頑張れなくてもいいんだって、そう弱さも肯定してくれよ。全肯定と銘打っている以上は、どうしようもない奴らのことだってどうしようもないまま肯定してほしいものだ。

まあ、かといって「生きてるだけで偉い!」とか言われてもなんかうそくせーなとか薄っぺらいなとか思ってしまうのだけれど。要は俺のことをなんも知らない奴から肯定されても何も響かないという話であり、その程度でマシになる鬱なら初めから苦しめられていないのだ。

とはいえ、俺と交流のある現実の人間ならば俺を救えるのかといったらそんなこともない。なんでかといったら誰も俺のことをよく知らないので。よく知らないものに肯定されても仕方がない。多少、仲良く会話する間柄の人間であろうと俺のことを正しく理解できているわけではない。俺という訳のわからない存在の人間性を捉え得る奴がいるとしたらそんなのは俺自身ただ一人であり、とどのつまり自分を救うことの出来る人間なんてのは自分しかいないのだ。

だから俺は俺のために頑張らねばならない。酒を飲んでくねくねとしている場合ではなく、俺は俺の人生にもっと真剣になるべきなのだ。

 

俺俺俺俺うっせえな。自意識に潰されながら今日も生きてます。

可処分時間厨

いつだったか、ツイッターで「可処分時間を無駄なく使ってなるべく多くのコンテンツに触れないと…って強迫観念があるから一つの作品に真剣になれない」みたいな言説を見た。とても共感出来たのでよく覚えている。

創作物の鑑賞を趣味とするオタクにとって、可処分時間がどれくらいあってどう使うかってのは切実な問題だ。というか物語を趣味にするにあたって、社会人てものは少し忙しすぎると思う。真っ当な人生とやらは物語に真剣なオタクに向いていないんだ。

だから俺は就職したくないんだよね。時間が無いから長いギャルゲーや小説に手を付けられないとか、面白いという確証のないコンテンツに手を出す余裕がない、みたいなのが嫌なのだ。

バイトをめちゃくちゃやっている時期に感じていたのも、労働行為自体への疲労とか苦痛ではなくて可処分時間が大きく削られていることへの苦痛だった。

バイトだって金を稼げる上に自分の成長に寄与するものであるはずなのだけれど。それでもどうしたって無駄な時間を過ごしているかのような錯覚をしてしまう。俺は俺の可処分時間を使って俺だけの活動がしたいんだ。

でもおかしなことにさ。これだけ可処分時間に拘泥するような価値観を持っておきながら、平気で一日十五時間とか寝たりするんだよね、俺。そんだけいうなら睡眠時間も削って何かしらの活動に励めよって感じだよな。与えられた可処分時間を余すことなく使えよって、俺もそう思う。でもなんかすげー寝ちゃうんだよね。そんで起きた時に自己嫌悪する、みたいなことを日常的にやっている。その辺がやはり俺という人間の半端で矛盾した性質を表しているのだ。

結局俺の中の可処分時間厨と呼ぶべき性質について正確な言語化というのは出来ないんだけど、要は俺は社会人になりたくねーって話に尽きる。

社会人にならないつってもそれで可処分時間が確保できるかつったらそういう話でもないのだけれど。親の脛をかじる気もないので俺は自分で金を稼がねばならぬ。そのために結局可処分時間は削られてしまうのだ。当たり前の話だ。だから俺はバイトをやって小金を稼いで少し余裕ができたら辞めてニートになる、みたいな生活を繰り返していくのだろう。というかそれが半ば人生設計みたいになっている。ゴミみたいな人生設計だな。間違ってもここまで育ててくれた親にそんな計画を知られるわけにはいかない。なので逃げるように実家を出る他なし。

俺は最早未来ある若者ではない。退廃的人生のレールへ転がり落ちてしまった落伍者だ。

二十三のクソガキが何を悟ったようなこといって終わりぶってるんだって感じですが。まあ今日はこの辺にして。

親不孝

誕生日だからと言って親にお高い鉄板焼きとやらへ連れて行かれた。そんで年末には良いホテルを予約したから予定を空けておけと言われる。俺が大学へ行っていない親不孝な息子であることも知らずに、親は俺に施しを与える。

いや恵まれてるなとは思うけどさ。ここ最近鬱で食欲は無いしそもそもバカ舌だから鉄板焼きがサムライマックより美味かったかと聞かれたら首を捻ってしまうのが俺だ。年末の旅行に関しても生粋の出不精の俺からすると少しも楽しみではない。どうせほとんど部屋で寝てるだけなんだからホテルの良し悪しとかあんま関係ないし、もっというと自室で布団被ってるのと変わらないだろと思ってしまう。これが仲の良い友人との予定ですとかならまだ楽しみを見出せるけどさ、親との会話とかって面白くないじゃん。ただ血が繋がってるってだけで親なんか何十も歳の離れた他人でしかないのだから。価値観も趣味もまるで合わない。

かといって無碍にあしらうようなこともやりづらい。子供と一緒に飯や旅行に行くこと自体に親が意義を感じていることくらいは俺にも分かっている。そんな親のエゴなんか知ったこっちゃないと拒絶してしまうのは良心が痛む。

まあ親のことを少しでも気遣う良心があるなら大学くらい真面目に卒業してやれよという話なんだけども。でも飯や旅行はともかくとして、親のために大学とか仕事とか結婚とかの人生まで捻じ曲げるのは違うと思うんだよな。

他の人の話なんかを聞いてると、みんな少し親を人生に介入させすぎじゃね?と感じるのだ。親を安心させるために婚活するだとか、親が戻ってこいと言うから地方に帰るだとか、介護のためにやりたいこと断念するだとか、てめーの人生じゃねえのかよと言いたくなることが多い。もっと自分の人生に真剣に向き合ってやれよ。親の言いなりになるくらいなら必死こいて逃げろよって、俺が言ってもなんの説得力もないんですけど。とにかく親っていう所詮は他人でしかないものよりも大事なことってたくさんあるはずだ。カラマーゾフの兄弟とかが書かれてたような時代じゃあないんだから、親に囚われすぎない方がいいんじゃねーの。

ってことで俺も近いうちに一人暮らしするつもりだ。そうして俺は親という存在からの逃亡、脱却、解放を図るのだ。時代は親不孝。親からの期待を全て無視し、自立しきった人生を歩むのが令和チルドレンの生き方。

 

親とか関係なく大学は卒業した方がいいらしい。

インターネット日記書きを始めます

大学の秋学期が始まってしまった。秋学期が始まるとどうなるか?大学に行くフリをするためにわざわざ家を出なければならなくなる。外の世界に何かやることがあるわけでもないのに。

俺は四年制大学の五回生にして大学に行っていない。去年休学をし、今年こそは絶対に卒業すると親に大見得を切った上、全く行っていない。なんなら退学しようか迷っている。

授業は全部リモートになったとか適当に嘯いておけば、無駄に外出する必要もないわけだが。なんなら大学辞めるわと告げてさっさと退学してしまえば諸々の労力を割く必要もなくなるわけだが。(例:大学から届いた成績表を親より先に回収し、大学に行っていない事実の露見を先延ばしにする)

そこまで開き直れずに半端な嘘をつき続けてしまう辺りが俺のダメなところだ。思い切りのいい決断が出来ないから、慢性的な苦しさみたいなものにいつも苛まれている。だから鬱になって精神科なんかの用になる。

とまあ、どうしようもない感じの人生を絶賛謳歌しているわけでして、どうせなんで日記にでもしたためようと思った次第です。思いつきで精神科に行ってきたとかいう日記を書いてみたけれど、これからも適当に更新していくつもりだ。

高校生の頃からスマホのメモ帳アプリに日記的なものは書き続けてきたが、それというのは他人に見せるつもりの無い文章なのでまともな体裁を保っていないものだ。やっぱり人様に見せようと思って文章を書くと襟が正される感じがあって良い。世界に発信するか否かという前提の有無で文章の質というのは全く変わってくるのだなと実感した。自分だけに向けた文章というのは、言ってしまえば究極の内輪ノリが延々と繰り広げられているようなものだから。それはそれで存在価値は大いにあるんだけどね。まあ、そんなわけで。

明日、少しはましな自分になれますように。

精神科に行ってきた

行動力の低下や鬱っぽさが著しいので精神科に行ってきた。こういう状態になるのはこれが初めてというわけではなく、ここ五年くらい定期的に苛まれてきたのだが、精神科へ行ったのはこれがはじめてだ。これまでに何度も精神科へ行こうと思い立ったことはあったのだが、プライドとか面倒くささとかに阻まれ続けてきた。それが今回、ようやくなけなしの活力を振り絞って精神科を探そうというところまではこぎつけた。

活動圏内の精神科から無作為に一つ選び、予約する。良し悪しなどわかるわけもないので本当に適当に選定した。すると来院前にオンライン問診表を埋めてくれというメッセージが届く。喫煙習慣や持病の有無などの他に、性格診断のような項目まである。

以下のうち、当てはまるものをすべて選択してください。「明るい」「楽観的」「社交的」「寡黙」「愛想がない」「几帳面」「頑固」

いやこういうのやるたびに思うけどさ、どれ選べばいいんだかわかんねーんだよな。俺は明るい時もあれば暗い時もあるし、楽観的とも悲観的とも言える。社交的なモードの時はあるが絶対に一人の時間の方が好き。みたいな感じで、俺という人間は多くの性質を併せ持っているのだ。っていうか不安定な人間性であるといった方が適切だろうか。とにかくどう答えるのが正解なんだかわからないのだ。自分のことがよくわからない。わからないから精神科なんぞに行こうとしている。自分の属性が明確なやつのことが羨ましい。なんなんだ俺って? まあそんなのはどうでもいいから適当に埋めて時は当日。

受付に行くとまずは白い紙を渡されて「実のなっている木を自由に描いてください」だとか言われる。この時点で既にちょっと怪しいと感じ始める。なんだよそれ。木ってなんだよ木って。木なんぞ描かせてどうしようってのか。

案の定というかなんというか、問診になると医者は俺の書いたへたくそな絵を指さして「幹が太いので精神的には安定している」だとか「リンゴの実を四つも書いているので具体的な目標が定まっている」だとかわけのわからないことを抜かし始める。ふざけているのか?とキレそうになるのを抑えるのに必死だった。

なんだよその半分スピリチュアルみてーな言説は。俺が十秒で描いたリンゴの木に精神状態が反映されたら苦労しねーよ。どこの誰がそんな手法に正当性がありますって主張してんだよ。葉っぱを描いていないからあなたは孤独には悩んでいないみたいですね、じゃないんだよまず俺は絵が下手だから葉っぱの描き方が分からなかったんだよ。

そんで苛つきながらも問診は続く。「なんの活力も湧かなくて一日を無駄にしてしまうようなことが続いていやになるんです。そんな繰り返しが苦しいんです」などと僕が切実な悩みを訴えると「一回旅行とか行ってみたら?」などと返ってくる。この時点で帰ろうかと思った。旅行に行って回復するような状態で精神科の戸を叩くわけないだろ。てか俺は旅行自体が嫌いなのだ。楽しいと思ったことが一度もない。

意味があるのか些か疑問なやり取りを終えて、不安を抑える薬を出すという結論に着地する。別に不安を消してほしいわけではないんだけどな。でも抗不安剤というのは今の僕にとってそう的外れな代物でもないのかな? その辺、ある程度の知識を付けてから来るべきだったのかもしれない。自分が何の薬を欲しいのかを先に明確にして、それを処方してもらえるように演技をする、みたいなことをやっている人だっているはずだ。

最後に甲状腺の働きだかなんだかを調べるためとかいって採血をして帰る。会計は六千円などと言われた。一連の診察に六千円の価値があったとはどうしても思えないが、もうどうでもいいや。初めからまともな期待もしていなかったし。

もらった薬を飲んで寝よう。効果があるのかどうかはわからないけれど。プラシーボ効果でもなんでもいいからやる気が少しは湧いてたらいいな。

明日、少しはましな自分になれますように。