夜逃げするオタクの断捨離

さあ実家からの逃亡決行も二日後に迫っていよいよ計画も大詰めといった感じです。目下俺のやることといえば引っ越し先に何を持って行くか何を捨てるかといった断捨離である。これがまた難しい。

本は大体紙で買ってしまう系オタクの俺は小説を多分三百冊くらい所持しており、これをどうすんのかが一番の迷いどころだ。俺は本当につまらなかった本は読んだ直後に捨てているので残ってる本ってのは全部俺にとって価値のある書なのよね。ランクルームにこれ全部持ってくんだとしたら何往復しなけりゃいかんのよって話だが、他方で簡単に捨てたくないという気持ちもある。マジで電子で買えるのは全部電子にしときゃよかったな。よく紙がいいか電子がいいかみたいな議論が読書家の間でされているけれども俺がここに終止符を打とうと思う。電子の方がいいに決まっていると。分かるよ?「やっぱ紙じゃないとな〜」とか本好きぶりたくなる気持ちは。でも本が好きならむしろ手放すことのない電子にするべきなんだよな。

悩んだ結果、頑張って本は全部持って行くことにした。労力とか何往復もすることで親にバレるリスクとかは痛いけれど、やはり俺にとって本ってのはそれ以上に価値のあるものだ。それしかないんだから、俺には。

てことで本に関しては結論づけたわけだが、しかし本以外にも頭を悩ませるポイントは多い。

断捨離ってのは基本的に"情"との戦いだと思う。例えば中学生の頃、仲のいい友人同士で送り合った年賀状とかさ。絶対要らないんだけどこれ捨てんの?って俺の中のなけなしの情が邪魔をするんだよね。年賀状くらい荷物になんねーんだから持ってきゃいいじゃんってのはあるけどそういうこと言ってたら断捨離ってキリないじゃん。何も捨てらんなくなっちまう。だからきっと、一切の情を切り捨てるのが断捨離のコツなのだろう。つまるところ断捨離が得意な人間てのは信用ならないんだ。いざという時に情のスイッチをオフにしてしまえる人間なのだから。

そう、だから。やはり俺は信用ならない人間だ。

結局、中学時代の親友と交わした年賀状は全て捨ててしまったから。

 

親が泣いた程度で引き返すなら初めからここまで来ちゃいない

月末までに自分で後期の学費を払えと言われて、俺に突きつけられた選択肢は四つだった。

①大人しく払って事態を先延ばしにする

②すいませんが払って下さいと親に頭を下げる

③やっぱ大学辞めるわと告げてバトルの第二ラウンドに持ち込む

④月末までに全てから逃亡する

この中で僕が採った選択はどれでしょうか。

 

答えは③!

 

じゃなくて④です。

これ以上の対話などする気も無いし、金を払うのはもっとあり得ない選択だった。

てことで月末までに実家から逃亡することに致しまして、早速引越しの手続きを済ませてまいりました。12/5には入居出来るということで、11/30に家を出てそこから数日間はネカフェやら何やらで過ごせばいい。その間に荷物を保管するためのレンタルトランクなんかも契約した。逃亡のためだけに今までの怠惰な僕からは考えつかないくらいのバイタリティを発揮してしまったよ。なんでその行動力を大学を卒業する方向へ持っていけなかったのか?知らないよ。

そんで引越しの時に緊急連絡先ってのが必要なんだけど、それに家族なんて当然使えないので数少ない友人に電話番号を借りて父親のフリをしてもらうことにした。この一件で誰の力も借りる気がなかったのでかなり不本意ではあるのだけれど、こればかりは仕方ない。でも今調べたら緊急連絡先代行サービスみたいなのがあるらしいのでそれ使えば良かったな。

なんだかこの瞬間が今までで一番、人生が動いている気がする。引き返せないところまで、来ている。エデン条約編の聖園ミカくらい引き返せなくなってる。

てかデカい問題がまだ片付いてなくて。親は俺のバイト先を知っているのだが、俺は逃亡した後もシフトに入るつもりなのよね。となると当然、親がバイト先に連絡して面倒なことになるのは明らかであると。どうしよっかなと思うけどそんなのいざとなったらバイト先もバックれちまえばいいもんな。ハハハ!逃亡、逃亡、逃亡の選択肢しか俺には存在しない。

まあ片付いていない問題なんて言い出したら枚挙に暇が無い。細けーこたあいいんだよの精神でサイコロを放り出してしまっている。覆水盆に返らず。親が泣こうが周りの人間全てを裏切ろうが止まることは出来ない。というか親が泣いた程度で止まるくらいなら、初めからやらない方がマシだ。そんな覚悟でここまで来たわけじゃない。

手放すことでしか。逃げることでしか。或いは他人を傷つけることでしか手に入れられないものだってあるだろ。だから多少胸が傷んだって気付かないフリをするべき時はあるよ。多分、人生ってそういう感じだ。そんな悟ったようなことを抜かすくらいには俺も大人になってきたということなんでしょうかね。

引越しのための断捨離をしなければならないので今日はこの辺で。

vs両親 三者面談

父親が家にいる日だったのでついに俺と母親と父親の三者面談が執り行われた。議題は当然俺が大学に行っていないことについてであり、今後の人生をどうするつもりなのか説明しろとも言われた。ロクな理論武装も用意していなかった俺はノープランでこの対決に臨むこととなってしまった訳だが、まあ別にここの議論がどう転ぼうが俺のやることに変わりはないのでどうなったってよかった。この家からさっさと逃亡して一人暮らしニート生活を満喫するという予定は決定事項なのだ。

結局何を話したのかよく覚えていない。覚えているのはずっと泣いている母親と、勝手に二人で喧嘩する両親の姿と、あとは父親に言われた「お前は親も含め人間を誰も信用してないんだな」という言葉くらいだ。

最後は母親が「大学行くって言って家を出てたのも全部嘘で私は騙されてたんだ」などと涙声で言い出すものだから、「そうです、僕はクズなんです」とだけ言い残してその場を辞した。騙されてたんだってなんだよ。こんな時まで被害者ヅラかよ。可哀想な私!ってか。いや俺が悪者で両親が可哀想だってのに間違いはないか。アハハ。

そんなわけで予定なんてないのに用事があると言って家を飛び出したわけで、今大学の図書館でこの文章を書いている。なんだか皮肉だなあ。こんな時に限って通ってもいない大学の世話になるとは。

さて。つまるところ今回の三者面談は何の生産性もない話し合いでしかなくて、それは予想通りなのだけれど。問題は俺が大学を卒業する意思があると嘘を吐いたことだな。そのせいで後期の学費を早く払えという話になってしまった。そんなもん払ってる場合じゃないのよ。俺は夢の無職生活のためにせっせとアルバイトに励んで貯金をしているのであって、卒業する気のない大学に六十万円以上を注ぎ込むためではない。うーむ、いかにして学費を払わないように立ち回るか。喫緊の課題はそれになる。そんなのとっとと退学して全てを"終焉り"にすりゃ、解決するのですが。

なんだか頭がグルグルして思考がまとまらない。とりあえず確かなことは、この期に及んで親に申し訳ないと言う想いが一切湧いてこない時点で俺は本当にクズなんだろうな。

卒業できないの親にバレた

久しぶりです。Outer Wildsとかいうゲームを一生やっていたりアニメや漫画を見ながらダラダラしていたら日記の存在を忘れてしまっていた。ただ今日は久々に日記に書きたいイベントが起こったのでその話をしようと思う。ところでこれ完全に俺の好き嫌いの話なんだけど、「その話をしようと思う」を「その話をば」って言うやつ嫌いなんだよな。をば。ってなんか受け付けねーんだよな。気持ち悪いじゃん。

 

家に届いた春学期の成績表を親より先に回収することで大学に行っていない事実の露見を先延ばしにしていた俺だが、目敏い親が成績表が届かないことをしっかりと認知していて大学側に再送をお願いしていたらしい。本当に余計なところには手が回る親だ。

そんで俺が春学期全く大学に行っていなくて、あまつさえ今年はどう頑張っても卒業出来ません、という事実さえ親の知り得るところとなってしまった。

そして当然詰められると。夜勤明けで寝ている俺は叩き起こされ、「アンタどうすんのよ!」と激詰めされるばかり。そしてそれに満足な回答をすることも出来ない。寝ぼけているフリをして「う〜ん」とかうめくことしか俺には出来ませんでした。なんでかって事の真実は「来年も卒業するつもりはなく、なんなら大学はすぐにでもやめてこの家も出てどこかでひっそりと引きこもりニート生活を謳歌したい」なのですから。そんな親不孝にも程がある厳しい現実を親に面と向かって言う気には流石になれなかった。あなたは私を私立中高に入れて、そこそこいい大学にまで進学させて、このまま世間一般でいうエリート的人生を歩ませていくつもりだったのかもしれませんが、残念ながらそうはなりませんよと。型にハマった幸せな人生とやらに僕は興味はありませんと。俺は普通じゃないから。申し訳ありませんが狂わせていただいております、アハハ。さあて何が可笑しいのでしょう。

てなわけで、俺が家を出ていくまで親との関係がガチで気まずい。どうしましょう?どうしたらいいですか?自分で考えろよってそりゃそうだけど本当に分からない。なんでもいっか、とも心のどこかで思ってしまっているので真剣に考える気にもならない。

とりあえず引っ越しの予定は先倒しにすることにした。一刻も早くこの実家という空間からはオサラバしなければ俺の居心地の悪さがもたない。どこに引っ越すか、今やってるバイトはどうすんのか、考えることはキリがない。

もうね、めんどくせーのよ。明確な答えのない問いを考え続けるのは。わからないわからないわからない。何も、わからない。それでも生きていくしかないのだから、苦しみながらでもやってくしかないのだから。だから頑張れいうても頑張り方もよくわかりません。助けてくれる人募集中!

 

とりあえず現実逃避で読んだわたモテ最新刊はアホほど面白かった。

哲学をやってるやつは漏れなくキモい

数多ある学部の中からわざわざ文学部を選び、数多ある専攻の中からわざわざ哲学を選んだ俺だが、今となっては哲学という学問、及びそれを取り巻く連中に対してネガティブなイメージしかない。哲学にかぶれた文学部生がツイッターとかブログとかで「エクリチュールが~」とか「弁証法的に~」みたいなことをほざいているとキモすぎて反射的に視界から外してしまう。中世哲学やってるやつは論外でキモいし、フランス現代思想やってるやつも気取っててキモい。分析哲学辺りはまだマシだがやはりキモい。

哲学やってるやつって本当にキモいんだよな。演習の初回講義の自己紹介で突然死生観について語りだす女とか普通にいるし、哲学書の解釈で教授とバトルを始める奴もいた。

そもそも哲学者も大概がキモい。基本的に何を書いているのか全く分からない。分かりづらい文章を書いておけばいいと思っている勘違い野郎の集まりでしかない。自分の底が知られるのが嫌だからわざと胡乱な物言いをしているジジイの文章を自意識の塊みたいな大学生が分かったような顔をしながら考察している絵面とかもうバカらしくて仕方ない。

哲学が好きなやつってのは大抵が批評も好きなのだが、この批評家気取りのやつらも当然キモい。ドゥルーズとかなんかその辺の訳わからない思想家を引用して気持ちの悪い文章を展開しているブログなんてたまったものではない。

前回の記事でお前も思想が好きとか書いてたじゃねーかって話だけど、要は俺が好きなのは哲学であって哲学史ではないってことなんだよね。大学で学ぶことのできる哲学ってのはあくまで哲学史でしかなくて、ぼんやりとした思索活動が好きなだけの俺にはまるで合わなかった。認めるのは癪だが周りの大学生の方がテキストを読解する能力は高かったし熱意も桁違いだった。だからだんだんやる気も失っていって卒論を書くモチベーションなんかも失せてしまった。畢竟、俺は哲学史という学問に対して敗走をして、それが悔しいからキモいと言い続けているだけだ。典型的な酸っぱい葡萄ってやつ。一番キモい哀れな人間は俺だったのだ。

高い金を出して買ったはいいけどロクに手を付けていない哲学書の数々が今日も本棚から俺を見下ろしている。

作者の思想が透けて見える作品

「漫画とか小説とかで、作者の思想をキャラの長いセリフで代弁させてるようなシーンが嫌い」って言ってる人がいて軽い衝撃を受けた。俺はむしろそういうシーンが好きで、なんなら創作物においてそれが本質なんじゃねーのとすら思っているくらいだから。作者が今までの人生で唸りながら考え続けてきた思索の集大成が作品なんじゃないのか?ストーリー展開とかバトルの熱さとかだけじゃなくて、お前の思想を俺に見せてくれよと、常にそう思っている。無論これは偏った政治的思想みたいな話をしているわけでは無く、もっと普遍的なレベルの哲学・思索のことだ。

まあでも言わんとすることは分かるんだよね。俺もカラマーゾフの兄弟で次男が宗教についての話を一生グダグダ喋ってるところはおもんないしキモいと思ったし。世界観に入り込んでいたら急に作者の自意識みたいなのが透けて見えてノイズになってしまったって感覚にも覚えはある。ストーリーやバトルより思想、とか言っときながら実は進撃の巨人はマーレ以前の方が好きだし。

何が言いてえのって俺は瀬戸口廉也と江波光則か好きで、田中ロミオが好きで、渡航も好きで、辻村美月だって好きだということだ。

なんかもっと深掘り出来そうな話題ではあるが飽きたので今日はこの辺で。

本当の誕生日を隠す癖

誕生日いつ?って聞かれたら俺は適当に二か月くらい前の日付を口にする。なんでかというと誕生日を祝われるのが好きではないからだ。まず何がめでたいのかよくわからないし、もし祝われてしまったのならば相手の誕生日も祝わなければならない義務のようなものが発生する感じがあってその気遣いが煩わしい。誕生日を祝い合うという行為をきっかけに親密度を高めるみたいなのもなんか、違うじゃん。本当に仲のいい人間ならばそんな薄っぺらい祝い合いに頼る必要なんてないはずだし、仲の良くない人間と誕生日を祝い合っても互いに空虚さしか感じなくないか? とにかく俺には誕生日を祝うことに意義を見出せないのだ。

まあ、本当の誕生日を隠すことによる韜晦的気持ちよさみたいなのがあるのは否めないけども。韜晦的気持ちよさって何って話だけど言いたいことは分かって欲しい。ちなみに大学どこ?とか聞かれても本当の大学を答えずに「中田敦彦YouTube大学です」とか答えたりする。(このネタがウケたことは一度も無い)

誕生日に限らず俺は記念日とか祝日とかを意識することがない。高校時代からクリスマスや年末年始、ゴールデンウィークはほとんどバイトをしている気がする。特別手当が出るというのに働かない方が愚かだろうと思ってそうしているのだが、どうもこの感覚は世間一般のものとは乖離しているらしい。もし仮に俺が結婚式をやるとしたら安いからという理由で大安ではなく仏滅の日を選ぶだろう。いやそもそも結婚式をやる意義を感じないとか言い出すかもしれない。

俺は根っからの文系なのにこの辺の価値観は理系っぽい気がする。だから俺の書く小説はつまらないのだろうな。何か大事なセンスみたいなものが欠落しているのだ。

 

明日が祝日だろうが仏滅だろうが、今日より少しでもマシならばそれでいいのだが。