本当の誕生日を隠す癖

誕生日いつ?って聞かれたら俺は適当に二か月くらい前の日付を口にする。なんでかというと誕生日を祝われるのが好きではないからだ。まず何がめでたいのかよくわからないし、もし祝われてしまったのならば相手の誕生日も祝わなければならない義務のようなものが発生する感じがあってその気遣いが煩わしい。誕生日を祝い合うという行為をきっかけに親密度を高めるみたいなのもなんか、違うじゃん。本当に仲のいい人間ならばそんな薄っぺらい祝い合いに頼る必要なんてないはずだし、仲の良くない人間と誕生日を祝い合っても互いに空虚さしか感じなくないか? とにかく俺には誕生日を祝うことに意義を見出せないのだ。

まあ、本当の誕生日を隠すことによる韜晦的気持ちよさみたいなのがあるのは否めないけども。韜晦的気持ちよさって何って話だけど言いたいことは分かって欲しい。ちなみに大学どこ?とか聞かれても本当の大学を答えずに「中田敦彦YouTube大学です」とか答えたりする。(このネタがウケたことは一度も無い)

誕生日に限らず俺は記念日とか祝日とかを意識することがない。高校時代からクリスマスや年末年始、ゴールデンウィークはほとんどバイトをしている気がする。特別手当が出るというのに働かない方が愚かだろうと思ってそうしているのだが、どうもこの感覚は世間一般のものとは乖離しているらしい。もし仮に俺が結婚式をやるとしたら安いからという理由で大安ではなく仏滅の日を選ぶだろう。いやそもそも結婚式をやる意義を感じないとか言い出すかもしれない。

俺は根っからの文系なのにこの辺の価値観は理系っぽい気がする。だから俺の書く小説はつまらないのだろうな。何か大事なセンスみたいなものが欠落しているのだ。

 

明日が祝日だろうが仏滅だろうが、今日より少しでもマシならばそれでいいのだが。